少し怯えながらも、「歌舞伎町」という町に出入りすることが出来るような年齢になったときのことだ。
巨大なドン・キホーテ、聞いたことのない名前のカラオケ屋、ケバブ、異様に露出度の高い女、異様に前髪の長い男、これぞジャパニーズカルチャーと言わんばかりに笑顔で自撮りをする観光客。
全ての欲望が満たされる歓楽街。
都市構成要素でいうところの「悪所」。
男一人での通行は素通りというわけにはいかない。
キャッチングな黒服が歩み寄ってくる。
「お兄さん、一軒どうっすか」
シカトを決め込む。
「キャバクラないっすか」
黒服の彼にDNA的な嫌悪を覚えたのが正直なところだが、すでに役者業に足を突っ込んでいた僕は「もしこういう役がきたら」と考えるのが癖になっており、これも好機とみて、軽い気持ちで質問をしたのだった。
「いくつっすか?」
「ハタチっす」
僕と変わらなかった。
「月いくら位もらってるんすか?」
「まぁー30ちょいとかっすかね」
さすがに夜の街は高給だ。
「めっちゃもらってますね」
「いやでも足んないっすよ、学費自分で払ってるんで」
一瞬で歌舞伎町の喧騒が無音になった。
ふと彼を見ると感じの良い笑顔をこちらに向けている。
歌舞伎町のネオンで彼には後光が差していた。
再び足音が聞こえた時、僕は防衛本能が働くままに微笑んで、「えらいっすね」と言い残し、早歩きをした。
僕は彼のなにを決めつけて嫌悪していたのだろうか。
無意識に収集していた常識らしきもののコレクションに辟易した夜だった。
彼にとっても二十歳で夜の街に身を投じることはそれなりに覚悟のいることだったと想像する。
温室育ちの僕は得体のしれない敗北感を纏い、猥雑な町に身を委ねながら、吉本隆明さんが著書で「泥棒して食ったっていいんだぜ」と語っていたことを思い出していた。「生きる」ことの大事に比べたら、それはただ人間の作った約束事だよ、と。
その真意を知るには文脈を逆さにする必要がある。泥棒しないってことは「ホントに切実にはなってねぇんじゃねぇか」ということだ。
学費を自分で払うという切実さを抱えた彼が、その時とても輝いてみえたのである。