「趣味、人間観察」と言えば聞こえはいいが、行為としてそれは盗み見であり、盗み聞きである。目の前に曖昧に広がる現代の景色の中から一つを選んでのぞき込み、視覚と聴覚のフォーカスを合わせて、徐々に輪郭をはっきりさせるのだ。
ファーストフード店。
右斜め前に座る大学生と思しき二人の男女が気になった。お互いに食事はとっくに済んだようで、テーブルに両肘をつき、ストローの細長い紙袋を思い思いに丸めて遊んでいる。
顔の距離は近かったが、男のどこか気を遣った、女の機嫌を伺うような中途半端な笑顔が心理的な距離の親密さを感じさせないことから、「これから」の関係であると推測した。
ハンバーガーを頬張りながら聴覚の焦点を絞ってみる。
「私、一人でラーメンとかも全然行けちゃうかも」
と女は言った。
「あー、わかる」
と男は同意した。
「ね」
と女は同意で返した。
「全然行けるよね」
と男は女の味方であることを強調し、オレもそっち側ですよ、という態度を示した。
「ひとり焼肉とかもたぶん行けちゃうと思う」
女は、いや「女のひとりラーメン」のハードルの高さをあなたは知らないでしょ、簡単に同意しないでよ、でもね、今の私の実力ならもう少し高いハードルも飛べるわ、それくらいの自立した心を持ってると最近気づいたのです、もしかしたらあなたは私を誘うために「焼肉食べに行かない?」というフレーズを使うかもしれませんが、誰かと行くものランキング上位の「焼肉」は私にとってひとりで行けるものに属していますので、もし誘われたとしても行くか行かないかの判断は極めてフェアに、空気や感情に流されることなく私はしますよ、とひとつ会話のギアを変えて答えた。
「あー、わかる」
男はそれでもなお同意した。
「ね」
ついてくるのね、やるわね、と女も同意で返した。
「全然行けると思う」
いや、やるわね、とかじゃなくて、ホントに、ホントに、オレも一人で焼肉行けるよ、そしてそのハードルに男女の差みたいなものがあるのもわかってるよ、たしかなんかの雑誌に「焼肉はお互いにニオイがつくし口もニンニク臭くなるので、それを見せてもいいと思う相手としか行かない。つまり焼肉デートが許された時点で、あなたに対してかなり気を許しているということだ」的なことが書いてあって、それは脳内にしっかりメモはされていて、「焼肉」というワードは大富豪の時のジョーカーのように持ってはいるけども、今はそういうことじゃなくて、シンプルに、極めてシンプルに、全身無印良品コーディネートであなたの意見に同意していますよ、と男はもう一度同意に念を押した。
「ね、行けるよね」
あー、ごめんごめん、わかってる、そうね、お互いに「焼肉は一人でも行けるもの」ということで合意しましょう、と大きなハンコを押すように女は男の同意に、同意した。
「あ、でも、オレあんまり一人でメシ行かないかな」
そうだ、よくよく考えれば友達もいるし、まあ一人でコーヒーとか牛丼くらいは行くけど、焼肉もこの前みんなで行ったし、飲んだ後のラーメンもだいたい三人くらいで行くし、反射的に同意してたけどわりと一人でメシって行かないかもな、たしかなんかの雑誌に「女性との会話は同意が命」的な事が書いてあってそれは脳内にしっかりメモはされてるけど、まあ自分の意見も大事だよな、と男は今までの会話を全て放り投げた。
「たしかに」
女は同意した。
え~。
我に返った途端、老若男女の声や咀嚼音が、食べ終わったハンバーガーの包装紙をクシャクシャと丸める音が、ビジネスマンがパソコンのキーボードを叩く音が、決して誰か一人の音を明確にすることなく絶妙に混ざり合い、僕の聴覚をぼやかせた。同意しあう「さとり世代」の会話も見事にそれに溶け込み、また現代の景色の一部となった。